語学留学とワーキングホリデーの読みもの

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「仕事の縁で引き受けたベビーシッターはすごく大変だった…」/カナダ語学留学体験記

私は大学を休学し、1年間カナダのキャンモアという都市にあるホテルにてインターンシップを行いました。

キャンモアという都市自体は小さく、日本ではあまり知られていないのですが隣にバンフという町があり、こちらはとても有名で日本人も多く住んでいました。

そのため、隣のキャンモアにも何人か日本人がおり、私がインターンをしていたホテルにも現地在住の日本人スタッフが2人、レストラン部門で働いていました。

二人は私よりも年上で、カナダ人と結婚されている方でした。私がインターンを始めると、なにかと面倒をみてくださり、気にかけてくれていました。

 

仕事の縁からベビーシッターを引き受けました

そんななか、私たちは自然と仲良くなり、キャンモアやバンフに住んでいる日本人の方を多く紹介していただくことができました。そこで、あるカナダ人家庭にてベビーシッターをされている方と知り合ったのです。

その方はもう日本に帰る期限が迫ってきていて、次のシッターを探しているとのことでした。そこには当時2歳の双子の男の子がいたのですが、なぜか今までのシッターさんに日本人が多かったようで、子どもたちが日本語を覚えてしまったのでした。

両親ともにカナダ人のその家庭では、もちろん日本語を話すことができません。そこで、せっかく習得しかかっている日本語を失いたくはないと、次のシッターも日本人で探したいということでした。その方から強く頼まれ、一度アルバイトがてら仕事の休みの日に双子と遊ぶことになりました。

私は当時、もちろん独身で、周りにも2歳の子などおりません。弟妹のいない私にとって、小さな男の子たちとの時間は少々不安でもありました。しかし、どういうわけか子どもたちに気に入られ、私の仕事の状況も考慮しながらベビーシッターをする日々が始まったのです。

当時私はバンケットの部門にいて、ホテルの仕事は夜が主でした。シッターはその家庭にて住み込みで、両親が仕事をしている9時ころから子どもたちがお昼寝をするまで、というものでした。

とはいえ、両親は在宅での仕事がほとんどでしたので、困ったことがあればすぐに相談できる、と気楽に考えて引き受けてしまったのです。

 

初めてのベビーシッターは困ったことの連続

そのような生活が始まってから、困ったことの連続でした。なにしろ、初めてのことばかりです。おむつの替え方、子どもたちへのしつけ、食事の世話、お散歩…しかも双子ということで苦労は倍です。

子どもたちに日本語を、というのが狙いのひとつでしたので双子たちとの時間ではほとんど会話に困ることはありませんでした。2歳の双子も英語はまだ幼児語でしたし、子どもが使うような言葉は日本語の方がよく理解できていたので良かったのですが、両親との会話では、仕事とはまた違う単語の飛び交う生活でした。おむつって英語で何と言うのだろう。滑り台やブランコ、一つ一つの単語がわからないものばかりで、本当に苦労しました。

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双子を連れてジムに行けば、片方を相手している間にもう一人がどこかで転んだり高いところから落ちてしまったり、トラブルの連続です。靴を履かせようと思うとどちらの色がよいかで取りあい、お散歩に行くときにどの電車を誰が持ちだすかでけんかになり、ワーキングホリデーで育児の大変さを体験するとは思ってもみませんでした。

しかし、このベビーシッターという仕事も、海外では一般的です。学生のアルバイトでよくあるものだそうです。そう思うと、やはりここでしかできない体験なのだろうと乗り越えていきました。

 

環境が変わることで、語彙力に幅が出てくる

そのうちに、周りの日本人の方から、バンフの日本人学校について教えてもらうことができました。

学校といってもそこはサタデースクールで、土曜日の朝のみ現地在住の日本人の子やハーフの子たちが日本語や日本文化を学んでいました。

二人はその当時まだ参加することができない年齢だったのですが、私がそこでボランティアをすることで特別に受け入れてもらうことができました。子どもたち同士の会話の中で、二人の語彙は飛躍的にのび、私はますます両親との会話に苦労する日々でした。

成長するにつれて二人の英語と日本語の語彙のバランスが釣り合ってくるとそのような苦労も減っていきましたが、ホテルの仕事だけでは単語力に偏りが出てくるのだと実感し、さまざまな仕事を経験しなければバランスの良い語学習得は難しいのだと感じた出来事でした。

 

(HN:ピーターパン 女性 当時22歳 キャンモア滞在)